ロサンゼルス日和-The heart of it-

ロサンゼルス在住です。アメリカ生活のあれこれ。

在米7年を振り返るー6年目(コロナ爆発)

こんにちは。Chihiro(@chihiro_in_NY)です。

 

7月14日にアメリカに引っ越してきてから丸7年が経ちました。ここから7回連載として2015年ー2022年を1年ずつ振り返ってみようと思います。

 

1 - 5年目は以下をどうぞ↓

www.chihirony.com

www.chihirony.com

www.chihirony.com

www.chihirony.com

www.chihirony.com

 

今日は第6回「2020年 - コロナ爆発」です。

 

 

 

1.日本への一時帰国

2020年1月は日本に一時帰国をして、約3週間滞在しました。2020年2月に学生ビザの期限が切れてしまう予定だったので、その前に再申請をしておくことが目的でした。私は既に大学院を卒業しておりOPTで就労していたので2度目の学生ビザ申請がうまくいくかどうかに関して一抹の不安がありましたが、なんとか無事にクリアすることができました。

 

ビザ申請に関しての詳細は以下のブログにまとめてあります。

www.chihirony.com

 

この一時帰国は家族で北九州や鎌倉に旅行したり、多くの友人と会うことができたりと非常に充実したものになりました。これがPre-COVID最後の日本訪問になるなんて、この後全世界が大変なことになるなんて、全く想像もしていませんでした。

ちょうどこの頃、中国でコロナが流行り始めており、アメリカに戻る数日前のニュースで「日本で1人目の感染者が確認された」という報道を見ました。母には「空港に行くときはちゃんとマスクをしていった方は良いよ」とアドバイスをされましたが、まだ国全体の危機感はそこまで高くなく、個人レベルで気を付ける、という程度でした。

 

 

2.ロックダウン

2月に入り、NYCで仕事と家の往復・・・という日常に戻りました。アメリカではまだコロナは流行っておらず、私の同僚たちには「アジアの方では感染症が流行ってるんでしょ!?」と興味津々に聞かれました。

 

3月に入り、アメリカ国内も少しずつ雲行きが怪しくなってきました。決断が早い会社は3月上旬から従業員にオフィス通勤を控えさせて自宅で仕事するようにしていました。

 

一方で私の会社はそこの決断がのんびりしており3月16日になってやっと上司から「明日から家で仕事をするように。ビルの現地調査も当分の間は延期になる。」と言われました。

 

そして3月17日になり、会社の全体会議で上司から「会社の今後の事業再開のめどが立たない」と言い渡され、部署の全員が職を失いました。

 

 

レイオフについては過去のブログに何度も書いているので今更詳しく書く必要はないと思いますが、結果的に2ヶ月以内に同じ会社で復職することができました。会社が政府からの補助金を受け取ることができ、(既に数名退職してしまった後でしたが)そこで事業再開することになったのです。

 

5月初旬に仕事に復帰したものの、NYCはロックダウンの真っ最中で生活必需品が売っているお店以外はほぼ閉まっていました。地下鉄なども全く使う気にはなれず、家と近所のスーパーを往復する以外はほぼ毎日部屋に引きこもっていました。

 

 

 

3.今の夫との出会い

魔が差したように当時の彼と別れ、現在の夫と知り合ったのもこの頃でした。彼は2月にちょうど車を購入したばかりだったようで、NYCのあちこちドライブに連れて行ってくれたことで2ヶ月間引きこもり生活で塞ぎこんでいたメンタルがかなり楽になったのを覚えています。

また6月からはレストランが屋外ダイニングを開始したことで、Flushing方面(Queens7番線の果てにあって地下鉄でのアクセスが悪い)の奥地のレストランで刺身を食べたり、Maine州に旅行したりと、NYCでの車生活の恩恵をかなり受けたな、と思っています。

 

4.グリーンカード当選

現在の夫と付き合い始めて1週間も経たない頃、また自分の中での大きな転換期がありました。

 

抽選に応募したことすらも忘れていたグリーンカードに当たっていました。3回目の応募でした。

 

 

5.転職

1度レイオフを経験したことで会社への不信感が募っていたことなどから、転職活動を8月頃から開始することにしました。コロナのせいで先行きの見えない年ではありましたが、Manhattan内に本社があるEngineering Consulting企業からCommissioning Engineerとしてのオファーをもらうことができ、年収も150%UPになりました。

 

 

 

 

山あり谷ありのジェットコースターのような1年でしたが、落ち着くところに落ち着くことができた感じで良かったと思っています。

 

続く