人の考え方や性格が変わる要因の一つは「環境」だと思います。
その「環境」の中には、住む場所・人間関係・学校や仕事閑居の変化・使う言語の変化などが含まれています。
私は3年ほど前まで東京で会社員をしていました。
海外留学経験はゼロで英語もろくに話せず、日本人ばかりに囲まれて生活を送っていました。
上司が言うことがおかしいと思ってもそれを口に出すことはできず、理不尽な仕事も嫌々ながらもこなしていました。
本屋に言っては世界を旅している人の自己啓発本や起業家の本などを読み、「私の居場所はここじゃない。海外で生活してみたい。どこか遠いところで一からやり直してみたい」と思っていました。
そして何もかも捨てて単身でニューヨークへ。
まず、住む環境はガラリと変わり、会社員ではなく学生になり、使う言語は日本語ではなく英語になり、関わる人も日本人ではなくなりました。
そして3年が経った今、私の性格は明らかに変わりました。
まず、自分で自覚がある部分から
*自分の意見をきっぱりと発するようになった。
日本では相手と調和して仲間の一員としてうまくやっていくことが重要視されます。
なので、自分だけ反対意見を主張しようものなら、仲間たちからの反感を買われかねません。
なぜなら、私たち日本人は、小学校(幼稚園?)からこのような教育を受けているからなのです。
尖った意見を言う子は先生からも疎ましい存在として扱われ、いわゆる「優等生タイプ」の子が可愛がられる傾向にあります。
空気を読む、絶妙なタイミングで「正しい答え」をいう生徒が日本でいう「模範生」なのです。
一方でアメリカ(また他の国)では、個々で意見を持ち、それを発信することが重要であることを子供の頃から学びます。
アメリカは他民族国家でバックグラウンドも人種も様々です。なので、考え方はみんな違って当たり前なのだという前提をもとに議論が進められます。
なので、人は人、自分は自分という感覚が根本に根付いており、考え方が違う人を仲間はずれなどにすることはほぼありません。
ニューヨークに来た当初はとにかく自分の意見を主張するのが苦手でした。
人の顔色を伺っては発言するタイミングを逃したり、英語に自信がなかったのもありますが、とにかく「典型的な日本人の大人しい子」という感じでした。
しかし今は基本的に自分がどう思っているかはっきり言います。
私は個性的だということを受け入れ、人と違う意見も臆することなく言うことができるようになりました。
なので、日本から来たばかりの日本人から「怖い」と思われているかもしれません。
でも、それでいいです。私はそれでも私の考えをしっかり持って発言できる性格でいたいと思うので・・・。
*外人を外人として見るのではなく、一人の人間として見るようになった。
ニューヨークに来たてのころは、誰がどこ出身かすごく興味がありました。
そして、その人の性格と国柄をむりやり一致させて「この国の人はこういう性格だよね」と自己完結していました。
あと英語が堪能でないころは、その人自身の性格をみる余裕がありませんでしたが、今は外人であっても日本人と付き合うようにその人の人となりを見ることができるようになりました。
どこの国出身だから・・・ではなく、●●はこういう性格で××はこういう人で・・・と個人にフォーカスすることができるようになりました。
もちろん日本人はシャイでアメリカ人は自己主張が激しくて・・・など典型的な例はあるかと思いますが、それも傾向にすぎないので、そういう偏見を持って人を見るのはやめた方がいいですよね。
*「雨が降ってて気分が乗らない・・・」は人として当然の感覚であることを知った。
例えば、日本人は花見とかアウトドア系のイベントでない限りは「雨が降ってるから今日はやめておこう」と予定をキャンセルすることはほぼありません。
でも雨の日って靴も服も濡れるし、外にちょっと出るのだけでも億劫になってしまいますよね。そこで「天気が悪いから、今回の予定はまた今度にしない?」と言えるのがニューヨークです。
気分が乗らない・・・という相手の感覚も尊重してくれるので、日本人同士の付き合いよりも気楽かもしれません。(ただ、ドタキャンする人も結構いますよ・・・笑)
きっとまだまだ気づいていないところで3年前の自分とは違う自分になっているんだろうなぁ・・・と思う今日このごろでした。
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