ロサンゼルス日和-The heart of it-

ロサンゼルス在住です。アメリカ生活のあれこれ。

【おすすめ本】半径5メートルの野望(第1章)

大人気ブロガー はあちゅうさん著 『半径5メートルの野望』を読み返しました。



発売直後に購入し、一通り読んではいましたが、最近仕事で心が折れそうなことが続き、自分に喝を入れるために再読しています。

とにかく名言が散りばめられており、一つのエントリーにまとめられることができないので、今日はまず第1章『負を燃料(エネルギー)に変える』について。
自分の過去を振り返りながら色々考えてみたいと思います。

さて、この本は、まえがきでも心にグサグサ刺さる言葉がたくさんありました。

以下
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ゆとり世代、さとり世代と呼ばれ、一見満足しているように見える現代の若者の中にだって、自分の人生を変えたいと思っている人は意外と多いのではないでしょうか。あふれかえる「自分よりすごい人」の情報に怖気づくあまり、満足しているフリをして、一歩を踏み出すことから逃げている人は少なくないように思います。
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今は、日々の行動を少しだけ野心的にして、身の丈以上を目指すことを恐れません。
満足したフリは、本当の充実からは程遠い。自分の人生をコントロールしているほかならぬ自分自身が変わらなければ、「流されるがまま」の人生から抜け出せないと実感しているからです。
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世の中に誇れるような大きな実績がなくても、自分自身が自分の人生に誇りを持っていたら、それは、勝者の人生だと私は思います。ただ、その誇りは努力と葛藤からしか生まれないとも思っています。
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私たちは、大いなる野望を抱くには自信がなさすぎる世代かもしれない。けれど、慎重な世代だからこそ、地に足のついた日常を一人一人しっかりと歩むことができるはず。その日常が実はそのまま「世の中」の一部であることに気づけば、「私にも世界は変えられる」という希望を持てるのではないでしょうか。
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なるほど…
確かに大きすぎる夢を語る人をバカにしたり、“夢ばっかり見ているイタい奴”扱いする人は多いですね。
facebook に海外旅行の写真をアップすると“リア充アピール”と言われ、セミナーやイベントに参加すると“意識高い系”と言われます。
これってどうなのでしょう!?
本人が趣味を謳歌したり、高みを目指してやっていることなんだから、批判する必要はないんじゃないでしょうか?

この本を読んで、私ももっともっと野心をむき出しにしてやろう!という気になりました。


★★★ここから自己の振り返りです★★★

私は幼稚園~小学生の時は人目も気にせずに授業中は手を挙げまくり、遠足では班長、学芸会では主役に迷わず立候補する、
所謂“野心の塊”だったわけです。

でも中学に入り、周りの目を意識するようになってからは、目立ちたいという欲求を少し隠すようになりました。
例えば、授業中に手を挙げて発表しなくなりました。また、話し合いの場で進んで意見を言うこともなくなり、周りと同調するようになりました。
(それでも、宿泊学習の実行委員長、合唱コンクールのピアノ伴奏、学級委員……と、色々やってはいましたが。笑)

自分の中にある溢れんばかりのエネルギーをいつも持て余している状態でした。

特に私がしおれていたのは高校時代。私は県内で1番の進学校(と言っても、田舎なのでそこまでレベルは高くない)の女子校に入りました。
そこにいるメンバーは皆、個性的で自我が強いように見えました。しかも勉強もできるし、頑張り屋さんが多い。
中学時代まで優等生で通っていた私は自分の“井の中の蛙っぷり”を痛感したのです。
しかも、人見知りだったせいで友達も少なかった(泣)
中学までは田舎町で過ごしたため、幼稚園~中学まで一緒の友達が多く、『自分の性格をよく知っている古くからの友人』とのコミュニティーをベースにして、友達の輪を広げていけば良かったので、すごく楽でした。

でも高校に入り、周りの友達が一気に新しくなったので、どういう感じで自分を出していけば良いか全く分からず、完全に高校デビュー失敗でした。

多分高校時代の私を知る人は、ほとんど印象に残らない人だという認識があると思います。
私は完全に存在感を消した状態で3年間過ごしました。しかも今よりもだいぶ太っており、いつもダボっとしたジーンズを履いてオシャレからも程遠い見た目でした。
もちろん3年間カレシなし。

予備校生~大学生時代は、人生初のモテ期到来!ということで理系という男が多い環境でちやほやされてました。まぁひねくれ者の私は、そこでチャラチャラと調子に乗れない性分なのですが。


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(外見について誹謗中傷されて)こんな思いはしたくなかったけれど、これをネタにできるようになったら、この大きなマイナス経験だってプラスに変えられる
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はあちゅうさんが第一章で書かれているように、外見に対して強いコンプレックスを感じたことはないのですが(もちろん高校時代はデブな自分に悩んではいたけど)もっと人に注目されたい!私を見て!的な気持ちが昔からすごく強かったのです。

私の26年の人生での(悪い意味での)転機となってしまったのは、
おそらく、暗黒時代の高校時代を経て自分に自信がなくなった
ということだと思います。
これは本当に直したい欠点です。今後の人生の足かせになりそうです。
例えばどんなに褒められても『どうせ私なんて』という思いが拭えないのです。
だから、人間関係なんて上手くいかなくて当たり前、仕事も失敗して当たり前、成功したのは私が頑張ったのではなくたまたま運が良かっただけ、そんな考え方が意識の根底にある気がします。

私はたまに職場などで『アンニュイな雰囲気を醸し出している』(←これ普通は褒め言葉だけど…)と言われますが、私の心の奥底に潜むマイナスの感情が引き起こしている雰囲気なのだと思います。

これは、はあちゅうさんが外見を誹謗中傷されて悩んだトラウマ経験と重なる部分があります。

はあちゅうさんがそのトラウマを乗り越えた方法を真似すれば、私もウジウジしてひねくれた考え方を変えることができるのではないかな…と思いました。

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見た目に関しては、正直、努力するだけしたという気持ちも芽生えたので、「これだけやってまだ文句を言われるなら仕方がない」という境地に至ったのです。
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「この人、素敵だな」と思う人に近づいて一緒に行動したり、ブログやら本やらを読み込んで研究するのは、その人に近づく手っ取り早い方法だと思います。
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素敵な人を見つけて、寄生して、自分の中に素敵要素を取り入れて……この繰り返しが私を成長させてくれています。だからこそ、さらに多くの素敵な人と出会うためにも、自分を成長させて、そんな人のいる場所に出入りできる自分であり続けたいと思います。
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強いフリをすることと、本当に強いことに、どれほどの違いがあるでしょうか。強いフリなのか、本当に強いのかは、自分で決めることです。
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不安がない状態というのは安全地帯から動かず、進化していないことだと言い換えられると思います。
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何かを成し遂げたいと思ったり、目立ちたかったり、人の上に立ちたいと思うくせに、誰からも愛され、批判は受けず、無傷でいたいなんていうのは、虫がよすぎますよね。
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自分の人生は自分で変えるべきだし、その方法も他でもない自分で考えるべきです。
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確かにはあちゅうさんはいつも美味しそうなご飯をInstagramにアップしてるし、沢山の芸能人やモデルさん、経営者の方と会われている、いわゆる“リア充”です。
でも、それを妬んで色々言ってくる奴なんかに構ってるほど私は暇じゃないんだ!というメッセージだと思います。


私は誰かに誹謗中傷されたこともないし、外見をけなされた経験もありません。なので、「幸せになることが1番の仕返し」と書いてあるのも正直ぴんときません。そのまで恨むべき人はいないです(はあちゅうさんのようにメディアやSNSへの露出が多い方だからこそ、こういう経験をされるのだと思いますが)。
ただ、素敵な人の真似をするっていうのはすごくいいですね!参考にしたいです。


まとまりがないですが、第2章以降は後日また書きますので、お楽しみに(^o^)


★過去記事
おすすめ本【頑張っている女性編】
http://s.ameblo.jp/chi--nun/entry-11977893858.html